2025/3/29 Thank you 音金! オオフジツボ Special Evening

ライブ報告

3月末で閉店する西荻窪は音や金時での最後の演奏。

ここをホームとして偶数月に演奏してきたオオフジツボ。最後だからと、ゆかりの方に声をかけたらゲスト4名で総勢7名になってしまった。さすがに7名の音と映像をリアルタイムで良いコンディションでお届けするのは困難なので、コロナ禍以降欠かさずやってきた同時配信は無し。その代わり音と映像を収録・編集して後日配信することにした。

しかし、そのための機材類や、足りない椅子などを持ち込んだため、機材は膨大に。狭いステージに全員乗るための設営作業は遅々として進まず、撮影機材は会場オープンしてお客さんを入れながら設置する始末。慌ただしく時間は過ぎ、しんみりしている暇も無いほど。逆にそれが良かったのかもしれない。

とにかくワイワイガヤガヤと、楽しく進行し、音金パパママの新たな門出を祝った。

個人的には2002年から出演した音や金時。色々なバンドやユニットで、総出演回数は24年間で「340回」になった。(ライブのMCでは360回とサバを読んでしまったが、正確にカウントし直した)

オオフジツボは2006年からお世話になり、ホームとして偶数月ライブと年末の感謝祭を、震災でもコロナ禍でも、続けさせてもらった。ここが無ければ音楽家としての成長は無かったのかもしれない、と思うくらい感謝しかない。

一般社会ではとっくに引退してもおかしくない年代のパパとママには、本当にゆっくり過ごしてほしい。

ありがとうございました。


ライブハウスは、ソフトウェアが重要だと思う。そのソフトウェアを活かすためのハードウェア(立地条件、良い音のハコetc)も大事なのは当たり前だが。

音や金時は生音がとても良く響くハコなので、ドラム/ベースが入る様な大音量の編成は不向きだが、アコースティック楽器にはとても適したハコだった。ブッキング形態もそれを活かしたもので、都内ではここでしか聞けない様なジャンルの生演奏が日夜繰り広げられていた。もはや一つの文化のようなものを形成していたと言っても過言では無いと思う。

普段はアーティストのサポート業や、講師業、はたまたクライアントの希望をかなえるための劇伴作曲家などの音楽家が、集客の事を余り気にせず自分が表現したい音楽をやれる場、として捉えている出演者も結構いたのではと思われる。(もちろんこれはスタンスの違いなので批判ではない)

一方、私の様にここを主戦場として、自分の音楽でお金を稼ぐ場と考えて、集客活動をした出演者もいると思う。色々なスタンスの出演者が自由に出入りできた事で、音金文化が育って行ったのは間違いないと思う。

ライブハウスと言うのは一般の人にとっては、基本的には足を踏み入れるのが怖い場所だ。そのライブハウスの中でも音や金時というハードウェアは、トップクラスに入りづらい場所だったと思う。慣れてしまえば良いのだが、ステージが入口を背にして設けられているので、開演時間に遅れて入場しようものなら、会場中のお客さんの視線を一身に受けてしまうのだ。これに恐れをなして、入口で引き返してしまうお客さんも少なからずいた。

その恐怖(大げさ)に打ち勝った者が、音や金時と言う至高のソフトウェアを享受することができたわけだ。(コロナ禍前までは、すばらしい料理もあったし)

さて、ここからは私的な考え。

ライブハウスの名前はもちろんそのハコの経営者のモノだが、それを一番使うのは出演者だと思う。ライブを企画すれば、宣伝でその名前を連呼する。そこでライブ録音した音源がスゲー良くて、勢いでCDにする場合は「Live at 〇〇」とかタイトルにもなっちゃう。ユースケースは様々。

そこのライブハウスで演奏される音楽ジャンルを想起させる名前や、創業者に由来した名前を付けているハコが多いように思うが、私の様にライブハウスを主戦場として捉えている演奏家にとっては、いずれにせよ新しいお客さんを集めやすい名前が嬉しい。「なんか怖い~」とか「〇〇ってどうしてその名前なんです?」と聞かれ、その由来を都度説明しなければいけない引っかかりが強い名前だと、なかなか辛い。なんせ、出演者にとっては職場の名前だから。

(音や金時という名前は、一見のお客さんにフレンドリーな名前では無いと思うが、由来を聞かれたことは記憶に無い。自分も由来を知ったのはごく最近。意味が解る or 意味は解らないけどスルーできる、そんな名前が自分にとっては理想なのかも)

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